災害支援団体の活動記のみを描くつもりで始めた、この連載。
連載開始当初は「私は被災体験は描かない」と断言していました。あまりの生々しさに「描けない」というのが本当の気持ちだったのです。
「赤ちゃん一時避難プロジェクト」を取材させてもらったのは、震災から約40日後の4月21日。
まだ東北新幹線が復旧しておらず、仙台の自宅から高速バスで新潟市を経由して越後湯沢へ向かいました。
育児休業終了を目の前にして、今後の生活や子育ての方法などを考え始めた頃に起こった震災。三上さん夫婦はそれまでの生活だけではなく、今後の生活もすべて変えなければならなくなりました。
世の中にある、ありとあらゆる種類のNPO団体。取材を申し込んだ当初は、その変わりどころの代表として、活動を追わせて頂こうと思っていたのです。 ところが被災地での彼らの活動に同行して、すぐに私の先入観は打ち砕かれました。
週ごと、月ごとに「アスイク」はNPO団体として、すごいスピードで成長し、震災後半年が過ぎる頃には大勢のボランティアと支援者を抱える大所帯の団体へと変貌していったのです。
「アニマルピース」という、9年間に渡り犬猫の殺処分問題に取り組んできた、骨太な団体に巡り会いましたが、彼らの活動の深さを知るにつけ、震災後立ち上げられた他団体の若さ、危うさが透けて見えるような気がしました。
この震災では、サンドウィッチマンの二人と同じように、何かのメッセージを受け取った人は少なくないはずです。 そのメッセージは、受け取ったそれぞれの人の人生を、今後どう変えていくのでしょうか。
私が菅谷市長に是非お話をお聞きしたいと思ったのは、「政治家は、福島の子ども達を自分の子どもだったらと考えるべきだ」という菅谷市長のコメントを、ある記事で目にしたことがきっかけでした。
震災前には「今後20年以内に90%以上の確率で発生する」と発表されていたにもかかわらず、残念ながら仙台では市民の防災意識は低く、防災用具を備蓄している家庭はあまりありませんでした。
私たちの物語は、ようやく今、始まったばかりです。
そして、悩み苦しみ、それでも歩んでいく東北の人々の物語を、これからも描いて、世の中に伝えていくこと。私ができることは、これからも、ただ、それだけです。
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